鋸山の石切物語(上)(下) (2016.5.1 産経ニュース)

鋸山 地図 マップ map 車力道 関東ふれあいの道 安兵衛井戸と沢コース 地獄覗き ラピュタの壁 吹抜洞窟 観音洞窟 岩舞台
※当ブログで使っている地図を載せておきますね(・‿・*) にっこり

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鋸山の石切物語(上)-日本の近代化支えた房州石 歴史残る登山道(2016.4.30 産経ニュース)
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 都道府県別で最高標高点が最も低い千葉県で、独特の存在感を放つ鋸山(鋸南町、富津市)。そそりたつ岩々は圧巻で、周辺一帯は昭和60年ごろまで、上質な「房州石」の石切場として、日本の近代化をインフラや建築面で幅広く支えてきた歴史を持つ。観光面でも、鋸山は近年人気が上がっている。

 房州石は軟らかくて火に強い特徴があり、東京の台場(砲台)や、埼玉県の草加煎餅の窯といった実用的な用途で使われていることが確認されているほか、県内外の建築物で見つかっており、学術的に注目が集まっている。千葉県立中央博物館(千葉市中央区)では、房州石に注目した企画展が開催中だ。

 ■女性が石を運ぶ

 4月の晴れた暖かい日、父が石切業を営んでいたという金谷美術館館長の鈴木裕士さん(55)に鋸山を案内してもらった。

 現在、山頂付近に行くには、主に3つの山道がある。往路は「車力道コース」を選んだ。かつて切り出した石を、女性が荷車で運んでいた道を元に整備されたという。

 急勾配を進み、開けた場所に着くと、草が生えている直方体の石がいくつも並んでいた。「房州石は80キロほどの直方体に切り出して出荷された。あれは切り出した後に放っておかれて、草が生えたもの」(鈴木さん)

 石切りの歴史が垣間見え、気持ちははやるが、一歩一歩を踏み出すのに力がいる場所も多い。

 休憩を挟み、数々の石切場があった山の上部に到着した。石が切り出されてできた大きな穴「吹抜洞窟」や「観音洞窟」のほか、宮崎駿監督のアニメ映画にちなんだとみられる、100メートル近い垂直な面が広がる「ラピュタの壁」もあった。

 いずれもスケールが大きく、人の手によるものとは思えない。名前は通称的なもので、地元でいつの間にか浸透していたという。これらの光景は、通常の登山道をそれずに見られる。

 ■使用された機械

 「岩舞台」と呼ばれた石切場跡では、町おこしのコンサートが行われている。付近には、大きなチェーンソーが赤茶色にさびて転がっていた。

 「昭和33年ごろからこういった機械が使われるまでは、人の手で切り取られていた」と鈴木さんが教えてくれた。まずはつるはしの様な道具で、切り取りたい形に溝を彫った後、『矢』と呼ばれる楔(くさび)を打ち込み、たたいて石を切ったのだという。

 山頂の景色は素晴らしかった。眼下には、東京湾と茂った木々が広がる。

 復路に選んだ「関東ふれあいの道」には、途中「樋道(といみち)跡」があった。急斜面に石を敷き詰めたすべり台のような樋道に、切り取った石を滑らせて下へ運ぶ仕組みだ。「80キロの石をツタで連ね、電車のように滑らせていた。上手な人は10個くらいつなげていたようだ」と鈴木さんは説明する。

 途中、何組かの登山客と出会った。登山コースの傾斜が大きいため、富士山の登山練習に来る人もいるのだという。都心に近く、歴史もある登山コースは、さらなる人気となる可能性を秘めていると感じた。(千葉総局 山本浩輔、写真も)

http://www.sankei.com/premium/news/160430/prm1604300021-n1.html


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鋸山の石切物語(下) 歴史生かす金谷の物語 芸術と融合 石の魅力磨く (2016.5.1 産経ニュース)
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 ■芸術と融合、石の魅力磨く

 江戸時代中頃に切り出され始めたとみられる鋸山一帯の房州石は、幕末から明治にかけての急速な近代化で需要が増えた。山の麓にある金谷港(富津市)から運ばれ、横浜港や横浜市の外国人墓地の坂の一部など、神奈川・東京方面で多く見られ、皇居のお堀にも使用されている。採石は現在は行われていないが、金谷では歴史を活用した町づくりが現在も進んでおり、入山者は増加傾向にある。

 ◆山の「第二の人生」

 鋸山では明治から昭和の初期ごろまで、1本80キロほどの房州石が年間最大56万本も切り出されていた。県立中央博物館(千葉市中央区)地学研究科の高橋直樹主任上席研究員は「鋸山の石は火山灰が固まった凝灰質砂岩で、房総半島が海の中にあったことも分かる。粒子の模様が特徴で、赤い筋の入ったものは特に高価だった」と話す。房州石は、近年でも新たに使用地が見つかっているという。

 だが、隆盛を誇った採石は、中国から安価な石が入ってきたあおりを受けるなどして昭和60年に終了。その後、山は観光地として「第二の人生」を歩んできた。

 平成19年5月には、鋸山の石を生かした町づくりを目指す民間団体「金谷ストーンコミュニティー」が活動を開始。房州石でつけた漬物の開発や、房州石の窯を使ったピザ店の開店などに取り組んだ。同時期には石や地質の専門家が鋸山の調査を本格化させていたことから、シンポジウムも開催した。

 父の士朗さん(90)が鋸山の採石業者だった鈴木裕士さん(55)は、古くから金谷に夏目漱石、東山魁夷ら多くの文化人らが訪れていたことに着目。「無機質な石とアートの融合が面白いと思い」、平成22年に金谷美術館を開館した。「石と芸術のまち」を掲げ、中心的な立場で仲間たちと町づくりを進める。

 加えて登山道の整備も進み、入山者数の指標となる鋸山ロープウエーの年間利用客数は23年度が33万人、24年度が38万人、25年度が40万人、26年度が46万人と堅調に増加した。27年度も微増したという。

 ◆若い移住者も

 さまざまな取り組みは雇用を生み、新しい若い力が集まっている。

 同美術館の広報担当、滝田一馬さん(26)は東京都葛飾区出身。町にほれ込んで昨年会社を辞めて移住したといい、「美術館で働きながら、金谷に来た外国の方が楽しめる企画づくりをしています」と話す。町づくりに取り組む若い移住者は、ほかにも10人以上いるという。

 鈴木さんは「金谷の宝である石の歴史を磨き、魅力ある町をつくりたい」と意気込んでいる。 (山本浩輔)

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 県立中央博物館では房州石の歴史などに着目した企画展「石材が語る火山がつくった日本列島」を6月5日まで開催中。一般300円など。月曜休館。

http://www.sankei.com/premium/news/160501/prm1605010015-n1.html
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